『小さき勇者たち ガメラ』

苛烈な怪獣描写と素直に泣ける夏休みモノの融合。涙と鼻水にまみれる後半四十分
@MOVIXさいたま。

ガメラの頭@HMV渋谷
朝一の回とはいえ、客の入りが10%弱というのは悲しい。あんなお目目クリクリの、女子供に迎合したぬいぐるみヅラガメラを媒体で初めて目にした時は、「ダメだこりゃ」感濃厚だったのだが、いや、先入観はいかんね。ファンタジーとしてもジュブナイルとしても、何より怪獣映画としてピカイチの映画であった。
母を失った悲しみから逃れるために、へんにひねこびた大人っぽさを見せる主人公の透少年は、ガメラの子供と出会うことで、次第に年相応の子供っぽさを取り戻していく。そして、ガメラジーダスの決戦を見届けることで一つ大人になる。その過程には、繰り返される因果の環が重くのしかかる。母を失い、そして、姉の様に慕う少女を失うかもしれない少年の悲しみと不安、そして、少年の心を開いたガメラの運命。だが、因果の環は、閉じた循環ではなかったというカタルシスに結びつけるプロットは、実に緻密で見事なものであった。透少年がガメラと過ごした日々は、劇中の設定では夏休みの出来事であり、俺好みの見事な夏休み映画でもあるのであった。


小さき勇者たち~ガメラ~
スペシャル・エディション
映画はいきなり、30年前に繰り広げられたガメラ対ギャオスたちの激闘シーンから始まる。*1四匹のギャオスに劣勢ムードのガメラ。一匹を火球で撃墜*2するも、超音波メスで全身を切り刻まれ、ついにひざを突く。そこに群がり、ガメラの肉をついばむギャオスたちガメラは自らの命と引き換えにアルティメットプラズマを暴発させて、三匹のギャオスを一度に葬り去るのであった。ガメラの凄絶な最後を見取る一人の少年こそ、津田寛治演じる透少年の父親である。父は既に、ガメラとの遭遇を、主人公とおなじ年頃に経験しているという設定が、この映画の最も重要なファクターであろう。
クライマックス、いまだ成体に至らないガメラを、成体となったジーダスが徹底的に痛めつける*3ガメラを成体にする為に、二大怪獣の激戦区名古屋に向かった透少年に、「もうお前たちがどこうできる問題じゃないんだ」と諭す父の言葉は、二重に重い。だが透少年は、父の言葉の意味を汲み取り、それでもなお、ガメラを助けるために死地に向かうのだ。。。父と二人で。。。。。

ジーダスの頭@HMV渋谷
この時俺は『ガメラ2 レギオン襲来』の小林昭二の名台詞、「あの時はまだ小さな子供で、逃げることしかできなかった。今度は守ってやろうや」を思い出していた。無論本作は、昭和/平成金子ガメラとは全く別物だ。だが、悲劇を繰り返すまいとする前向きな姿勢の持つ勇気の美しさは、まさに同質のものである。冒頭の凄惨なシーンは、ここに繋がってくるのである。そして、子供の、いや、娯楽映画の主人公の無分別を、崇高な人間原理に昇華しているのだ
歴代ガメラの中で、最も美しい回転ジェット、今日只今塗り替えられた史上最高峰の怪獣描写*4、幼馴染のお姉さん麻衣を好演する夏帆石橋けいに通じる清楚な魅力と、見所テンコ盛りの大傑作であったよ。平成ガメラに熱いモノが込み上げてくる向きは、是非見に行くべし。



*1:家一軒燃やしただけで、緊迫感のあるモブシーンを作り上げたカメラワークが、これまた凄い!

*2:断末魔のギャオスの焼け爛れた顔がアップでインサートされる

*3:この辺の「もう止めてくれぇ」感も、実に正しく平成ガメラ節で、情け容赦が無い酷さ。

*4:なんとなくゴジラ面したジーダスは、バルゴンへのオマージュが濃厚。だが、素早い身のこなしと長く伸びる舌を槍のように繰り出す以外冷凍液も悪魔の虹も無いガチっぷりが、憎憎しさを増す。第一ラウンドの人間の血が滴る口中の描写など、悪趣味描写にもセンスが光る。