ガルシアの首

メキシコの農業地帯に絶対君主として君臨する大農場の経営者は、自分の娘を孕ませた男、ガルシアの首に百万ドルの賞金を賭けた。ガルシアを求めてメキシコ中を探す部下たち。

ガルシアの首

メキシコの田舎町で、観光客相手のバーでピアノの弾き語りをしてその日をしのぐ、人生崖っぷちの主人公ベニーは背景の経緯を知らぬまま、一万ドルのギャラで富豪の部下の下請けを申し出るのだ。

だが、ベニーには勝算があった。ベニーの情婦エリータの浮気相手がガルシアであったのだ。エリータからガルシアの居所は聞きだせたが、すでにガルシアは交通事故で死亡。故郷の村の墓地に埋葬されたという。文字通り「賞金首」を獲る為に、ベニーとエリータはガルシアの故郷を目指す。

猥雑で卑小な「殺し」の動機、本来、支配階級であるはずのアメリカ白人ベニーのダメっぷりやセコいとも言える行動原理が、土埃に煙るメキシコの風景を背景に、ギラギラと描かれる。そして、ペキンパー監督お得意の、スローモーションを巧みに使ったバイオレンス描写が、さらにねっとりと不快指数を上げていく。

いいところが一つもない主人公は、貧富の差=力関係という現実のセオリーのカリカチュアだ。できれば目をそむけておきたい現実をより不快に見せ付けられても、なぜか強く魅せられる。それが何故なのかはいわく言いがたいのだが、ここには、馳星周作品にも似た通低音が感じられる。観終わった跡に、無性に一杯飲みたくなる。できれば、気の抜けたぬるいビールか、ぬるいテキーラが望ましい、そんな映画だ。