『ブラザーズ・グリム』

ギリアム版本格ファンタジー活劇は『二大怪獣東京を襲撃/決戦!怪獣対MAT』であった
丸の内ルーブル

ブラザーズ・グリム DTS スタンダード・エディション
風邪引いて熱出てるんでかいつまんで。
ギリアム作品は常に、権威/合理/秩序に対するカウンターとしての愛やロマンを、不条理を通じて描いてきた。だが、ギリアムの才能は、不条理を単なる秩序への対概念と捕らえるだけでなく、「死」という概念を内包するものであることを訴え続けている。いや、もっというと、「すべてはエントロピーに帰す」という感じか。『ブラジル』における鎧武者と能面の亡者、『バロン』の死神、『12モンキーズ』でのフラッシュバック、『フッシャー・キング』の紅い騎士。これら、コメディーの合間に挿入される鮮烈な死のビジョンは、『ジャバ・ウォッキー』の黒騎士に端を発し、『タイム・バンデッツ』衝撃のラストを経てルーティン化された、「不条理な死」のイコンであり、同時にギリアム作品の共通テーマになっていると思う。

鏡の女王の衣装
本作では、町山智浩氏がご自身のblogで指摘しているよう、『オフィーリア』*1のオマージュがそれに当たるであろう。
確かに、鮮烈なイメージである。又、「永劫」のメタファである鏡の女王への対概念としての「終焉」のメタファであると同時に、愛を持って「再生」を果たす、セックス〜出産のメタファに転化する構成は、見事だった。
ただ、個人的には、物語冒頭で語られる「妹の死」へのリンケージが成されていなかったことが、若干不満かも。ジョナサン・プライス*2演じるドラトゥンブ将軍は「秩序」のメタファだ。「永劫」と「秩序」、二大テーマと戦うロマンの使徒グリム兄弟のキャラクターの魅力が、今一淡白なのは、この辺りに起因していそうな気がするのであった。


*1:ジョン・エヴァレット・ミレイ作。昔日本で行われた、シェイクスピア作品を画題とするイギリス絵画展で見た覚えがある。目を剥いて死んでいるオフィーリアの表情は、クサい台詞回しで定評のある『ハムレット』の舞台を、百遍見ても伝わらないであろう無常感を感じさせてくれる。

*2:『バロン』でもそういう役どころで登場していたが、かつて『ブラジル』で、秩序に押し潰される男を演じた人が、秩序の権化を演じているのは面白い。