『ホラー・エクスプレス ゾンビ特急”地獄”行』

時代を超えて呪われて「いた」シベリア超特急(・∀・;

ホラー・エクスプレス / ゾンビ特急
思い起こせば、25年くらい前か。石田一氏が立ち上げた国内初のホラー映画専門誌「ホラーワールド」*1の創刊号に掲載されていたフィルムストーリーを目にしたことが、この映画との出会いだった。リーとカッシングが「いいもん」で競演、豪華列車に蠢く謎のモンスター、不安定な世界情勢を時代背景にコサックの襲撃という小技の利いた第三勢力の介入、そして、疾走する列車内でのゾンビ軍団との決戦と、本作の魅力的なエッセンスのみをモノクロ4Pくらいに凝縮した記事に悩殺されたさ、厨坊のオレは。もうすぐ四十朗に至った21世紀の夜に、自宅でこの映画を見ることができるとは。。。。行幸なのか?因果なのか?

結論から言うと、「観れてヨカッタ!」という事になろう。但しそれは、オレの望むホラー映画とは全く異なるベクトルでなのだが。そう、実際に観なければ解らなかったこの映画の魅力は、製品パッケージに記されたコピーが全てを語っている。曰く、

ミイラとゾンビと悪魔と宇宙人が交錯する狂乱の展開を、クリストファー・リーピーター・カッシングが懸命に支える、ゴシックホラーの限界点にあるような作品。
黒沢清監督の推薦文より

シベリア超特急」をネタにした映画にまともなものは無いのか!?と神に問いたい、問い詰めたい(ry。

先にも述べたよう、この映画の構成要素の個々は中々に魅力的なのだ。だが、過ぎたるはなお及ばざるが如し。詰め込みすぎに加えて、あまりに非常識な科学的ギミック、それならそれで筋を通せ!と言いたくなる投げっぱなしな展開。いや、「狂乱の展開」については『幻の湖』や『シベリア超特急』シリーズに比べれば、遥かに良心的である。但し、その分インパクトは薄まるわけで、醸し出す中途半端感がなんだか切ない。なんか70年代っぽいサスペンス調の情感たっぷりの物悲しさが漂うテーマ曲のはずし方も、妙な味わい深さがあったりする。
だからといって、カッシングに買収された荷物係が、原人の檻の封印を解くシーンで、テーマ曲を口笛で吹いているってのは、どうか?

クリストファー・リーの考古学者が満州で発掘した原人の氷付けのミイラが蘇生して、次々と人間を襲う。後に、原人は人間の記憶を吸い取って殺すことが発覚するのだが、最初の犠牲者が天才的な錠前破りだったので、自力で移送用の檻を抜け出すというのは面白い。そしてシベリア横断鉄道の客車内という逃げ場のない密室で、次々と人間を襲う。これもいい。実はモンスターは無形の存在で原人の身体を乗っ取っているだけだった。物語中盤で原人は鉄道警察の刑事に射殺されるが、原人の死とともに刑事の身体を宿主に変えて、凶行を重ねる。これもいい。

だが、犠牲者を剖検している時、目が白濁として脳にしわが一本も無くなっているというだけで、原人が目から記憶を吸い取っていると看破するのはどうか?原人の死体を解剖している時に、目から滴る血液に太古の地球の風景はおろか、大気圏外から眺めた地球の姿が映っているのはどうか?それが、顕微鏡で発見されるというのももっとどうか?それをして、怪物の正体を人類誕生以前に地球にやってきた精神寄生体エイリアンと結論ずけるのはどうなんだ?

ロシアン傾き者のコサック隊長テリー・サバラスの暴走する演技も、まぁまぁ良い。面白い。ほぼ脈絡のない無理矢理な登場も、まあ許そう。だが、いきなり悪魔主義者に転向したロシア正教の牧師もどうかと思うが、その牧師と隠し持っていた九尾ムチ親方プレイを始めるのは傾き過ぎだろう、サバラス。そして、そして。。。。。


まぁ後は観て頂くしかない。『シベ超』ノリの映画だと最初から覚悟して観る分には、中々の傑作である。但し、顔中の穴という穴から鮮血を噴出して、白目剥いて死ぬ犠牲者のアップが延々続くので、グロに弱い向きは、そういう覚悟もしておくように。(w



*1:残念ながら2号で撃沈。同人誌と商業誌の中間にあった、不思議な雰囲気の雑誌だった。黒バックにリーのドラキュラのドアップというインパクトのある表紙は、自販機エロ本のようなロゴとレイアウトセンス共々、いまでも鮮明に思い出される。