雲呑麺
今日の昼食@京鼎樓。
「雲を呑む」と書いて「雲呑」。その真価は、まさに雲を呑むが如き、ふわふわとした皮の食感と喉越しにこそある。従って、雲呑の主役は皮である。どんなに趣向を凝らした餡を入れようが、皮が厚すぎだったり、ましてや餃子の如き具ピッチピチの雲呑は、雲呑とは認められない。雲呑麺がウリのラーメン屋など、9割がたがこの雲呑の皮でこしらえた餃子が土左エ門のように濁ったスープにたゆたっていたりして、激しくゲンナリすることが多い。ようするに、貧乏性剥き出しなんだよな、具過多の雲呑って。
そういう意味では、皮の割合が多くて、マシな方の部類に入る。でも、まだ、具多すぎ。一般的な比率の雲呑に剥き海老一尾が入っているのだが、この海老が邪魔。ひき肉餡と海老の取り合わせは悪くないから、せめて海老を半分、いや三分の一にして、気持ち皮を薄くしてくれると良いのだがなぁ。