『ランド・オブ・ザ・デッド』

ザック・スナイダーへの「拳の返礼」と受け止めて宜しいかな?巨匠健在のガチンコスプラッタパンクの傑作

東宝シネタワー@渋谷。
「今回のテーマは9.11だ」とロメロ監督自ら語っており、若干の危惧を抱いていたのだが、全くの杞憂であった。
映画内で象徴的にそびえる高層ビルは、グランド・ゼロと言うよりは、倒壊以前の貿易センタービルをイメージしているものだ。世界を牛耳る一部の富裕白人層の富の象徴としての、高層ビル。人々はそこに集い、ビルの外の周辺部にはかつての中流階級以下の人々がスラムを形成している。腕に覚えのあるスラムの住人たちは傭兵となって、ゾンビの巣と化した周辺の小都市から、生活物資を略奪していく。一方的な搾取と消費によってのみ成り立っている、まやかしの経済システムは、持たざる者の反乱を待たずして些細なきっかけでいとも簡単に崩壊してしまう。
たしかに「9.11」がテーマであるが、アルカイーダによる自爆テロというよりは、そこにいたる複合要因の大きな一つである、欧米諸国の白人主義による経済支配の構造を暴いているのであった。いやもう、解り易過ぎる構成である。
そうしたテーマを汲み取り真摯に世界情勢を憂う事も、ボンクラ的には正しいこの映画の観方ではある。だが個人的には、スナイダー版『ドーン・オブ・ザ・デッド』で不完全燃焼であった描写や演出を、真っ向から叩きつけてくれたロメロ節にこそ拍手を送りたい。
ゾンビの醜悪さ、数多エピゴーネンの輩出によりネタ切れとも思われていた死体損壊描写の新たなアイデア破局の到来を象徴する銃器に拠らないサブウェポンの細かな演出、極限下でさりげなく描かれる男の友情などなど。スナイダーの作品を揶揄するつもりはないし、初めてスナイダー版『ドーン〜』を観た時の衝撃と感動は変わることは無い。だがやはり、エンタメの土俵で勝負する上で、深いテーマ性を維持しながらもジャンルとしての爽快感を損なう事の無かったロメロ御大の仕事ぶりの方が、優れていると言わざるを得ないのだ。
「小人閑居して不善を成す」という言葉をロメロ監督が知っているかどうかは解らない。が、スナイダーが『ドーン〜』で人間の本能としての社会性を闘争の武器として描いていることに対するアンチテーゼとして、ロメロは大異変を以って変わらぬ搾取社会を描いている気がしてしまう。そしてそれは、ロメロ自身の『ドーン・オブ・ザ・デッド』における「消費本能」というテーマの反復再検証でもあるだろう。スナイダーの作品と本作を見比べると、作品を拳の如く用いて殴り合い、語り合い、理解しあう、古強者と若造の美しい姿が見えてくる気がするのは、俺だけだろうか?