そして、幽玄に向けてバスは行く

松本のバスターミナルから、バスに揺られているうちに、このままどこか、この世ならざるところに行ってしまうのではないか?という気がしてきた。市街地を抜け、住宅が見えなくなり、まばらにあった畑やペンションも姿を消し、牛が草を食む風景も途切れ、視界には道路と樹木しかなくなったが、バスは坂道を登る一方。高原=平地の気配すらない。そして、空はいつの間にか雲が覆い、ちょっと怪しい雰囲気に。ウィンドブレーカーを宿に置きっぱなしにしてきたことが悔やまれる。
「窓開けてください」という運転手の指示が出る。つまり、エアコンの設定温度である25度を外気温が下回ったということだ。日中の気温が予報では29度だったから、5度以上の温度差があることになる。「下のほうを少しだけ開けてください。スズメバチが入ってきます」との事。あぁ、そういえば地蜂を食うのも長野だったなぁと思い出す。いつぞやの蜂酒の馥郁たる香りが蘇る。帰りに松本で蜂食って帰ろうと決心をした。
さらに小半時、バスは進む。空が間近になったように感じられる。道路に出ている標高を示す標識をふっと見ると、標高1,800mと。まだ肌寒いまでは行かないものの、改めてウィンドブレーカーを忘れてきたことを後悔する。これで降られたら確実に風邪っぴきだ。靄が立ち込めはじめ、あっという間に霧になり、なお後悔に拍車をかける。
漸く、バスが止まったところは、山小屋の前。一緒に乗っていた観光客がゾロゾロ降りていくが、これはまだ途中駅。高原美術館は終点なのだ。あたり一面ガスが立ち込め、精神的にもうそ寒いものがある。俺を含め4人ばかりの乗客を乗せて、バスは再び走り出した。が、すかさずUターン。そこから5分も掛からないで、終着駅である美ヶ原高原美術館に到着した。