『姑獲鳥の夏』

Mazudai2005-07-16

@新宿ミラノ座。舞台挨拶あったんだネェ。時間を逸した。
まぁ、アレげ一歩間違うとバカミスの原作を映像化するに当って、実相寺監督の登板は必然であったと思う。アップやなめを多用する巧みなカメラワークは、「見ているけれど見えない」演出にはうってつけであろうと。そういう意味では、満足のいく出来栄えであった。また、昭和27年という舞台設定にも、コダイグループの美術は欠かせなかったであろう。実際、眩暈坂や京極堂の住まいと店舗、久遠寺医院のセットは極めて良くできていた。クライマックスの炎上する久遠寺医院*1の、セットとミニチュアの使い分けは素晴らしく、このシーンを見るだけでも十分に元が取れるというものだ。
のだが、期待していた実相寺節である「妖しのエロス」は、希薄だったなぁ。実相寺監督に池谷仙克美術、音楽は池辺晋一郎と『D坂の殺人』と同じ顔ぶれが揃っているのになぁ。どこまで行っても清純派。悪い意味で、原田知世、恐るべしといった感じか。一人四役*2という難かしい役どころを上手くこなしてはいたんだけどね。。。。。クライマックスで、いしだあゆみの腹蹴り上げるところとか、台詞の迫力が今一だったりもして。我等が愛すべきエロ監督の趣味ではなかったんだね、知世。
もっとも、原田知世一人の責任ではなく、全体的にプチ・メジャーな作りが、違和感の源泉ではあると思う。そう、あの三人の映画が、ミラノ座でかかるというのが、そもそもの大きな間違いな気もする。

翻って、敦っちゃん=田中麗奈はイキイキとしてたなぁ。ほぼ原作のイメージ通りのキャラは、彼女だけだったかもしれない。
原作のイメージとは大きく狂うが、宮迫=木場修はいい仕事してた。ガラは悪いがスーツにソフト帽というフィルム・ノワールの記号としてキャラ作りをしており、『魍魎の匣』で細かく描かれていた木場のキャラクター造詣を織り込んでいるのであった。いい仕事といえば、京極夏彦演じる水木しげる先生もいい味出してたなぁ。この種の楽屋落ちは、まぁ鼻に付くことが多いのだが、すっかり丸顔になった京極センセイ*3は、あんまり違和感がなかったのであった。里村くん=阿部能丸も、中々イイ味を出していたなぁ。
京極堂堤真一は、世間的にどうなんでしょうね?見た目はもうオッサンで有得ないのだが、あの声質は、真っ当に京極堂のイメージであったと俺は思った。関口=長瀬正敏や榎木津=阿部寛は。。。。。もうちょっと仕事しろ!っと。

*1:山形の済生会病院というところがモデルとの事。てっきりニコライ堂を元に、ロケも含めて撮ったのかと思った。

*2:久遠寺牧郎の母を写真で登場させ、そのポートレート原田知世というのは、とても良いアイデアだったんだけどなぁ。。。。

*3:役作りで太ったりなんかしてるのなら、もう、脱帽である。