Nさんの告別式

駆け出しの頃、PC関連の部署に配属されたときのボスがNさんだった。米I-_-MでPC事業部長だかまで行かれたやり手で、当時俺がいた会社には共同プロジェクトの責任者として、I-_-Mから出向でいらっしゃってたのだ。
見た目も性格もハナ肇そっくりの、親分肌の硬骨漢な方だった。どのくらいガチだったかというと、プロジェクトもピークを過ぎる*1辺りで、定年真近いI-_-Mに見切りをつけて、羽田の某社に転籍してしまうくらいのガチぶりであった。
無論、結果は不遇に終わってしまわれたわけで、それを境に、なんとなく音信も途絶えていたのであった。
開始の10分前に斎場に到着すると、当時の俺の直属の上司であったOさんに出会った。今日の告別式に、羽田方面から列席したのは俺とOさんの二人。縁の深い、先輩のOさんやKさんは、昨日行われたお通夜に列席。当時の営業マネージャーだった、現羽田方面の取締役執行役員のOさんからは、生花が出されていた。
生花の列に、以前いた三茶方面の連結子会社のK社長からのものがあった。奇しき縁を目の当たりにする一方、恵まれた良縁を全く使いこなさせていない我が身の至らなさに、ちょっと凹む。
しめやかに葬儀は行われ、出棺前の献花をさせてもらう。就寝中の心筋梗塞と伺っていたが、その死に顔は、まさに寝ているよう。なにせハナ肇似のお顔であるので、豪快に鼾でもかいていそうな、心地よさげな風情であり、月並みだが亡くなられた事が信じられない。また、Nさんが羽田を辞されてから役10年、当然といえば当然だが、老け込んだ上に、二周りくらい小さく見える。
奥様からのご挨拶で知ったのだが、元々は、石油会社の技師になるべくボーリング技術を学びにテキサス大に入学したこと。そのご、機械科に転籍し、エンジニアとして米I-_-Mに入社されたこと。羽田以降はアメリカ系BtoBのソフトベンダーの社長、*2ベルリッツ日本法人の社長*3と、60歳意を超えてヘビーな役回りばかりをこなされていたらしい。
享年70。これから本格的なリタイア生活を始める矢先にお亡くなりになられたと。
豪胆にして紳士でギャンンブラー、かと思えば、俺程度の考えるいたずらに手も無く引っかかる*4素直さも持たれた、本当に愛すべきナイスガイであった。
謹んでご冥福をお祈りします。


*1:商品力の。

*2:日本法人の整理まで行われたらしい。

*3:日本撤収に合わせて辞職

*4:俺が、同僚のNさんとN.Y.旅行に行った時。急にトイレに行きたくなって、たまたま傍にあったI-_-M本社に飛び込んで、受付に「日本のNの部下だがトイレ使わせて」と言ったら、最上階のVIPラウンジに通されて、フルコースのランチを振舞われた。。。。というツクリ。