『チャーリーとチョコレート工場』

ティム・バートン堂々の「俺様映画」は逆「毒入りチョコレート事件」?

@MOVIXさいたま。
最新のCGでリメイクされた『夢のチョコレート工場』と思わせておいて、実は、主人公はウィリー・"ジョニー・デップ"・ウォンカ*1
「醜い姿形、或いは逸脱した奇行を成す心清き者の勝利」という構図は、バートン作品共通のものであり、原作のテーマ性と全くコンフリクトは生じない。また、「心清き者」が勝利に至るプロセスで淘汰されていく俗物の描写にこそ、原作者ロアルド・ダールの持ち味があり、そこの部分は、これまたバートン節とピッタリフィトしている。実に痛快に、躾の出来ていないクソガキを保護者共々酷い目に遭わせている点だけでも、この映画は大成功といえるだろう。
そこに加えられたバートンオリジナルのエピソードは、ウォンカの口を通したバートンの自分語りでしかない。原作には登場しないウォンカの父というキャラクターを登場させ、わざわざ、ウォンカの才能について、奇行と幼児性そして孤独という、言わでもがなな客観性を明示してみせる。そして、和解による家族礼賛というチョコより甘い結末に至る。いや、別に全く構わないのだが。いつもの事だし。

ウォンカの父にクリストファー・リーをキャスティングする辺りには、バートン作品『エド・ウッド』における、ベラ・ルゴシ固執するエド・ウッド*2の姿が被って見えて、セルフパロディというよりは微笑ましい情景だ。だが、リーの演じる「ウォンカの父」は怖いぞ。強大*3で厳格な父の職業は歯医者。世の全てのお菓子を虫歯の元凶として激しく憎んでいる。息子の口に取り付けた、中世の拷問器具のような歯列矯正*4は、虫歯への憎悪故の歪な愛情の具現化なのだ。幼いウォンカのハロウィーンの収穫物を暖炉に放り込むシーンで、燃え上がるお菓子に照らし出されるリーの改心の笑みは、怪奇映画の名悪役の健在振りが伺える。厳格な父に植え付けられたトラウマと反動がウォンカの才能と奇行の根底にあるというのがバートンオリジナルの解釈だが、その原風景はハマープロ他の低予算怪奇映画なのである。甘ったるくて耐え難い、「ハリウッドマーケティング的オチ」への布石として、バートンの贖罪とも照れ隠しとも取れるバランス感覚が嬉しいかもだ。
さて、本作のファンタジーとしての完成度はきわめて高い。だがそれは、こうした目に見える形でのストーリーや演出に拠るものではない。今日的なエクスキューズを様々に観る者に想起させる点を抑えておかないと、ベトナム戦争以前の映画に先祖返りしたかのごとき欺瞞に満ちた愚作になってしまうだろう。例えば、ジョニー・デップの怪演が冴える、ウィリー・ウォンカのキャラクター。これ、チョコレート工場の秘密性と合わせて、どう観たってマイケル・ジャクソンとネバー・ランドのメタファであろう。また、クソガキどもの親達は、名声と報償の為なら平気で子供に因果を含め満足のいく成果が得られなければ、図々しくも倫理や道徳を傘にきて訴訟を起こして金を毟り取ろうという事ぐらい、平気でやりそうな雰囲気を持っている。

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例えば、ラストで嬉々として新製品のアイデアを語り合うウォンカとチャーリー。これは、児戯的ではあるがれっきとした経済行動であり、チャーリーと境遇を同じくする多くの貧しい子供たちに夢や希望を与えようという思いやりは感じられるだろうか?

例えば。。。。物語冒頭にしてすでに、世の中から無いことになっている紛争地帯や飢餓地帯の子供たちに、チャーリーとウォンカは救いの手を差し伸べるのだろうか?などなど。
「チョコレート」と「毒」(のあるユーモア)繋がりで思い出されるのは、「毒入りチョコレート事件」*5。起こった事実を様々な視点から、「真相を追究」するという姿勢で全く異なる意味を付与していく、異色にして本格ミステリの傑作なのだが、奇しくも本作の構成はこの逆張り。。。つまり、様々な視点からの更なる結末を想像する楽しみのある、いや、そうしなくては楽しめないかもしれない、バートンとしても変化球の意欲作であった。。。。と思いたい。



*1:夢のチョコレート工場」の原題は"Willy Wonka & the Chocolate Factory"。最初の映画化の段階で既にして、人気の要はウォンカとウンパルンパだった事が伺えるが、映画の内容は全く原作の通り。チョコレート工場内部の描写は、あの当時の水準としては大変に良い仕事であった。ウンパルンパ本物だったし(w。

*2:往年のドラキュラ伯爵繋がりでもあるところは、奇しき偶然!

*3:クリストファー・リーは身長196cmの偉丈夫だ。

*4:兼、強制開口器など。

*5:アントニ・バークリーの古典的名作