『ウルトラQ dark fantasy』第23話「右365度の世界」

ハァ。

放映データ
話数放映日サブタイトル脚本監督
2204/09/7右365度の世界村井さだゆき八木毅
キャスト
キャラクター俳優キャラクター俳優
乙村そら前田愛吉安光雄小西大樹
渡来教授草刈正雄ナレーション佐野史郎


独創的な帝都大学の渡来ゼミ。量子力学を論じる、その難解な講義の数少ない生徒が、真面目な女生徒そら(前田愛)と男子生徒、吉安(小西大樹)だった。二人は当初、会話も交わさない間柄だったが、とある契機から、そらは吉安が熱心に講義を聴く訳を知る。実は繊細な吉安は自分の居場所を求めて、量子力学上の架空世界、すなわち「右365度の世界」に没頭していたのだ。ある日、吉安の姿消えた。そして彼を訪ねたそらも、偶然作動した虹の波動装置によって別世界へ。そこはまさしく吉安と同じく、そらが内心求めていた「自分だけの世界」だった。自由を謳歌するそら。だが他人の存在しない世界はあまりにも虚しく、そらは今までの平凡な日常が如何に大切だったのか、気づかされるのだった。果たして、そらは元の世界に戻ることができるのか?「不思議の国のアリス」を彷彿とさせる、アカデミックなサイコファンタジー



コメント:
第6話『楽園行き』から二度目の登板となる村井さだゆき脚本である。『楽園行き』は言うなれば素材の良さがヘボ料理人の腕を精一杯カバーした感があったが、これは俺が石橋けいの大ファンであるからこそ可能な見方である。もし石橋けいがゲストヒロインでなかったら(略)。
そして今回。前田愛も好きではあるので、かなり好意的に解釈しようと思うのだが、今の彼女に対しては冷静に見てしまえる程度の熱の入れ様なのであった。結局プラマイ0の立場として言うと、狂人の戯言以外の何者でもない。百歩譲って電波ポエムだとしても、ヒロインを活かそうというエンタメとしての命題を守ろうというモラルが微塵も感じられないクズである。
クズと言えば、第20話『密やかな終焉』があるが、こちらはSFホラーをやろうという意思が明確だった。だから、中学生以下の生物の知識という無教養もお笑いで済まされるかもしれない。だが『右365度の世界』は、セカイ系だからなぁ。クリエイターとして最も安直な手段を選択した上でのバカ丸出しには、情状酌量の余地はなかろう。
翻って、第5話『ヒエロニムスの下僕』で猛威を振るった八木毅監督の実験的な画面演出には、実に真摯な姿勢が感じられて好感度は高い。...のだが、苦労は伺えるものの、成功しているとは言い難い。前田愛をガトランティス人にしちゃぁいかんよ
八木監督の魅力は、デジタルエフェクトをしてアナログ魂を叩きつける画面演出に真髄があると俺は思っている。カラーバランスを飛ばして、「量子論的多元宇宙」を演出したアイデア自体は素晴らしいと思う。だが、現実と365度の世界の色調は逆にすべきであろう。まず、先にも述べた、ヒロインを活かせ!というエンタメの命題に反している。また、浜辺の前田愛のシーンが実に八木節の結晶になっているだけに、トータルの訴求力で反故をきたしているのだ。彼女は、自分の生きる世界を捨てたものぢゃ無いと認識したんだろ?*1であれば、光に満ちた世界の色調と現実の世界は同じでなくてはいけないのではないか?さらに悪い事に、波打ち際に上がる水柱以降の安っぽいCGがキモの場面をブチ壊しにしている。なんだか大林宣彦の安いレプリカに成り下がっているような印象である。
まぁ、それもこれも全ては脚本の悪さに尽きるのかもしれない。意味も意図も読み取りづらければ、イメージの湧き様も無いものなぁ。

*1:あの脈絡のない脚本から、一生懸命意味を読み取りました。