湯浅憲明監督の追悼に

今回の件をオレは、唐沢俊一氏の日記を発端に知った。唐沢氏は、『ガメラを作った男』の構成、インタビュー、ライティングを行っており、湯浅監督にかなり近い立場にいた。その為もあり、早速氏の日記にアップされた追悼文は、件の本だけでは解らなかった湯浅監督の功績や才能について、補完するように語られている。名文であるので、湯浅監督を偲ぶ方には是非、全文よんで頂きたい。
さて、唐沢氏の追悼文の中に、次の件がある。



これに限らず、映画マニアが“大人の目で”怪獣映画を語る際に、まず昭和ガメラ シリーズは目の敵にされることが多かった。子供時代にあれだけワクワクしたものを 大人になって再見して、そのあまりの安っぽさに愕然とし、それにかつて大喜びした 自分を恥じるのだろうか、躍起になってガメラをくさすのが、自分をマニア的な高度 な目を持っていると自負するファンの定番だった。そういうサイトを見つけるたびに 苦笑し、なら、なぜこんなに安っぽい映画に、当時の自分が熱狂したのか、その裏に 隠されている監督の腕に気がつけばいいのに、と思ったものだ。
「“もう少し、お金かけたら”という感じだ」
 などと言うが、そのかける金がなかったのである。金をかけずに、金を儲ける映画 を湯浅憲明は作り上げた。末期ガメラシリーズの、なりふりかまわず子供受けを狙ったことによる安定したヒットにより、滞っていた給料が支払われ、息子を学校に上げてやることが出来た社員、会社をつぶさずにすんだ下請けスタジオなどが、どれだけあったことか。それが社員監督としての、彼の務めであった。

わが身の恥を晒せば、生意気盛りの現役オタクだった頃、「金を掛けずに社運を賭けて」というフレーズで「ガメラマーチ」の替え歌を作り、身内でウけて悦に入っていたりした。汗顔の至りである。だが、その「安さ」や「通俗性」について、抗いがたい魅力を感じていた。今となっては言い訳に過ぎないのだが、愛ゆえの暴言であったのだ。
唐沢氏は敢えて外している様である*1が、コスト重視と大衆目線を失わない湯浅監督の制作姿勢が救ったのは、大映関係者だけではない。円谷プロも救われているのだ。
ファンの間ではつとに評判が悪い『ウルトラマン80』。『3年B組金八先生』の人気に安易に便乗した、だけのクズ「ウルトラマン」は、当然の事ながら、視聴率の低迷に喘いでいた。中学教師にして防衛組織の隊員がウルトラマン*2に変身するという「3足のわらじ」を履いた無理な設定は、1クール以降無かった事とされ、凡庸なエピゴーネン路線に軌道修正されていった。
こんな無茶苦茶な番組が1年も続けられたのは、全50話中半分の25話分を担当した湯浅監督の力量のおかげであろう。制作方針変更にあわせフットワークも軽く、80の世界観を作って壊しリフォームするという力技を通した手腕は、記憶に留め置くべきだと思う。
無論、故人が関わっているからといって『80』という作品のクォリティに関して評価が上がるわけではない。だが、普通ではかなり抵抗があるであろう作業を、バッサリとビジネスライクにやってのける職人気質は、逆に今だからこそ、故人を偲びながら評価すべきではなかろうか。
『80』に触れる事は敢えて不発弾を掘り起こすような気もする。が、『80』というテキストは、より具体的に湯浅監督の特質......大衆目線*3を失わない監督としての視点と、ちょっとロジャー・コーマン調なプロデューサーとしての視点をあわせもったプロフェッショナリズム......について気づかせてくれると思うのだ。




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*1:唐沢氏の日記をよく読み、成田亨氏の御本への拙文にも目を通していただければ、ある仮説が成り立つはず。

*2:あんなモノをウルトラマンとは呼びたくないのだが

*3:マニア目線よりは、ダサくてトロくて田舎くさくて安っぽいものを好む