『ウルトラQ dark fantasy』第4話『パズルの女』

褒め殺すつもりが、マジリスペクになっちまった。メタ『牡丹灯篭』。

放映データ
話数放映日サブタイトル脚本監督
0404/04/27パズルの女広田光毅北浦嗣巳
キャスト
キャラクター俳優キャラクター俳優
坂本剛一袴田吉彦楠木涼遠藤久美子
望月金子貴俊三河由佳
千野弘美ナレーション佐野史郎

ストーリー:

独身サラリーマン望月(金子貴俊)の元に差出人不明の郵便物が送られてきた。中にはジグソーパズルのピースが納められているだけで、手紙など差出人の手がかりは何もない。望月は一人住まいの手慰みにパズルを組み始めるが、送られてきたピースは不完全で、白いパンプスにアンクレットをを付けた女の足の部分だけが出来上がった。

翌日から何かの気配を感じるようになった望月は、「白いパンプスを履いた女の足」に引かれるようにして、命を落としかける。偶然旧友の坂本(袴田吉彦)と再開した望月は、自分の近況を相談してみた。望月の話を聞いた坂本はヨタと取り合わないが、望月と別れた後で涼(遠藤久美子)に見せられた自殺現場の写真に、ジグソーパズルのピースを発見し、連続する自殺事件と望月の言う「パズルの女」との繋がりを直感する。

コメント:

ウルトラQ~dark fantasy~case2

21世紀の『牡丹灯篭』。と、一言で済んでしまうがなかなかどうして。今回のエピソードの眼目は、時代の流れに囚われない物語性の恐怖と、時代の変化に即した同時代の感覚的恐怖を描いている点にある。

前者に関しては先述したように、『牡丹灯篭』の恐怖...死を持って成就する、純愛の皮を被った情念...であり、直球勝負である。が、後者に関してはちょっと複雑だ。

まずは、「パズルの女」のホラーファンダメンダリズムにのっとった描写について。首なし女のビジュアルなイメージと、とにかく問答無用な態度は恐ろしい。仮に、怨霊じゃなかったとして考えてみよう。一度会っただけの人間に、自分のポートレートから起こしたジグソーパズルを送りつけるセンス(しかも分納でだ!!)や、繰り返すが一度会った事があるだけの異性に夜道で後ろから抱き付いてくる行動、さらに、十分に社交辞令の範疇なコミュニケーションの相手に「一生の思い出」に至る好意を抱き、「未来の自分」宛ての手紙に想いを綴る思考力や感性って、完全にサイコパスだ。ただの幽霊でも怖いのに、顔がない上あまつさえサイコパス。これは怖い。

これを映像に結ぶ、アイデアとカメラワークがまた素晴らしい。この女は最後まで顔を見せない。凶器を孕んだ眼差しを決して明かさない。「ミロのビーナス」の腕に習い、「顔のない女」という不気味なビジュアルが、予め失われているからこそ成り立つ絶対の美を想起させ、本質がすり替わっていく恐怖の象徴として、後述するクライマックスで結実するのだ。



ビジュアルインパクトをゴールとせず、実に練られた「考え落ちの」の追い討ちを、今回の監督と脚本のコンビはかけてくる。

西日に照らされる走行中の車内で涼は、女が自らに宛てた手紙を読み上げる。涼は、この「恐怖のサイコ女」の犯行予告とも言うべき不気味な手紙を、時折嗚咽を漏らしながら読むのだ!!書き手が「長い闘病生活の末、孤独に死んだ若い女」ってだけで、行動や思想の大前提となる常識や、判断力、思考力を放棄し、感情だけで共感してしまう。これで「ジャーナリストの端くれ」を自称しているのである.....恐ろしい。いや、ギャグでなくて。だって、このエンクミみたいな人間が世の中の過半数を構成し、ジャーナリズムというものは、この過半数好みに合わせて真実を切り取る商売なんだから。本エピソードの涼=エンクミこそが、現実社会の代表でありリアリティの権化なのである。

「それでも人殺しは人殺しだ」と、非の打ち所のない正論を吐く袴田の男前も、エンクミの涙にはかなわない。感情論に突き動かされ、思考力を放棄した人間には、理は通用しないのだ。このシーンのBGMが、オリジナル『ウルトラQ』の雰囲気を色濃く持った、なんとも奥歯にものが引っかかったような、後味の悪い不気味さを醸し出す曲を使用しているところも千両であろう。

更に追い討ちは続く。クライマックスで恐怖に怯えていた望月は、長い一人寝の寂しさから冷静な判断力を欠き、嬉々として「パズルの女」に引かれていく。このシーンのBGMだって、グレゴリオ聖歌モドキの、決して神々しくも清清しくもない曲である。そして、パズルは完成しているのに、女の顔は写されない。穏やかに笑う口元のみが印象付けられ、「目」は写されない。手前勝手に人を殺め続けた女の、狂気の証左である眼差しは謎のままだ。そしてダメを押す佐野史郎のナレーションと、ベタな甘ったるい曲がインサートされる。

若干無理矢理な感は否めないが、意図は伝わる。一見すると、プロットぶち壊しの「なける○ちゃんねる」並みに薄っぺらいドラマとして着地させることで、なんでも「ちょっとイイ話」にして肯定してしまう21C初頭のモダニズムの歪みを顕在化させている。俺にはこれが、恐ろしくて堪らない。

ベーシックな怪談を、サイコパスの幽霊でブラッシュアップし目くらましにしつつ、現実の現代社会を痛烈に皮肉ったメタ構造が、今エピソード「パズルの女」の特筆すべき点であり、まさに新生『ウルトラQ』、『ウルトラQ dark fantasy』である。そして、嘲笑われる「現実」こそが真の恐怖、『ウルトラQ dark fantasy』のテーマである「バランスの崩れた世界」である事を、我々に突きつけているのだ。

今回の監督を担当した北浦嗣巳氏は...これまた実相寺監督縁の方。日活ロマンポルノの助監督を経て、『帝都物語』(1988年 監督:実相寺昭雄)、『悪徳の栄え』(1988年)『ラ・ヴァルス』(1990年)、『ウルトラQ ザ・ムービー星の伝説』(1990年)で実相寺組の助監督を勤めている。後、『ウルトラマンコスモス』(2001年~)の劇場版監督・特技監督を務めている。脚本の広田光毅氏は、シナリオ・センターの出身。小劇団のシナリオや、『週刊ストーリーランド*1で、「家事三級」というエピソードを担当している。


*1:臆面もなく『世にも奇妙な物語』をパクッた日テレ営業中企画。視聴者公募の名の元にパクリを助長し、さらにお安くチンケなアニメで仕上げ、日本中の心あるミステリ・SF・ホラー小説好きを激怒させた、ある意味伝説の番組