ゼミOB会

三年ぶりくらいに参戦。
池袋西口は前回のセミナー会以来なのであるが、改めて、激変振りに驚く。開場時間まですることも無いので、例によってスイーツのあるコーヒーブレイクでもと思ったところで、一つ下の代のMさんにバッタリ出会う。声をかけると、「よく(自分だと)わかりましたネェ」と異常に驚いていたのが意外。いや、小じわが少々増えた程度で、全く変わっていないよ。確か三人の子持ちと聞いていたが、むしろその変化の無さの方が驚きである。
Mさんの同期のUさんと待ち合わせて、ちょっとお茶して*1から会場に向かうとの事なので、同行することに。先週も来たとか言っておきながら、「立教ってドッチでしたっけ?」の一言に、激しく笑う。おれですら、困惑しながらも位置関係把握できてるぞ。
立教通りにあるガラス張りの喫茶店で待ち合わせるとの事だが、そんな店あったっけ?全く思い出せなかったのだが、いざ、到着してみると、たしかにあった。昔のまんまの風景だ。そういえば、在学中も一度も利用したことが無い店だったなぁ。だから、記憶が飛んでいたのかもしれない。
現れたUさんも、全く変わらず。在学中はコロッケに似ていると言われていたが、今ならむしろ高島礼子だな。未だ独身、外資の損保に勤めるキャリアウーマン*2だが、話し方はおかんそのものでちょっと引く。「え〜、昔からこんなでしたよぉ」と言われるが、そうかぁ?子供の話、最近音信の途切れがちな誰それの話など、女のおしゃべりに耳を傾けているうちに、開場の時刻に。
立教通りの町並みも、大きく変わった。三年前から更なる変貌を遂げていたのが、北側に聳え立つ高層マンションだ。いつの間に、あんなものができたんだ?
校門を潜ったところで、6つ上だっけか?Sさんに出会う。相変わらず、ドイツ軍の技術将校のような怜悧な顔立ちが目立つので、わかりやすい。ご挨拶もそこそこ、「会場ってどこ?」「7号館って聞いたけど」「あったか、そんなところ」と、瞑想する元梁山泊のメンバーたち。
昔懐かしい社会学部の研究棟*3の真裏にあった。かつて、山小屋と呼ばれたバラック作りの、学校公認の部活動団体の部室があったところだ。こりゃわからんわけだ。しかも、レンガ造りの研究棟の真裏に、レンガ張りの建物をおったてて。都市迷彩でも意図したのか?綾辻の小説じゃないんだから(w
会場受付で、懐かしい方いっぱい。消防庁キャリア組みのAさん、サッカーバカ一代のKさん、どんどん唐沢俊一に似てくるSくん、相変わらず得体の知れない見た目*4のHさん、相変わらずカンボジアみたいなTさん。そして、本日の主賓H先生。
今回幹事として尽力下さったO先輩*5から携帯に連絡が入ったのは、先週のこと。「先生がいよいよヤばくてさぁ、急遽セミナー会開くことになったよ」などと、のっぴきならない呼び出し方をされたが、まぁ、誤報というか、あの方一流のレトリックだった事にいまさら気づく。大病患われてからは流石に、歳相応。。。というか、お迎えリーチな弱弱しさは否定できないが、近々どうこうと言う感じは全く無い。お元気そうで、本当に良かった。
そして定刻。まずは先生の基調講演。。。ちゅうか近況報告。「もういよいよだなぁっと」とご自身仰っていたが、国内の音楽会を巡りーの、去年はドイツに行きぃーのと、こりゃ、当分くたばりそうもないなぁと思う。。。。。思いたい。「巻き」という概念が欠如した長い話がウリだった先生が、わずか5分ほどで話が終わってしまうのは、切ないものがある。
二番手は件のHさんのお話。すっかり失念していたが、辿って行けばli(-_-)oorグループになるんだったよ、Hさんの会社。ちゅうことで、ご自身の会社のM&Aの経緯を経て、堀(-_-)(-_-)文氏の人物像やビジョンについてをかいつまんで話される。急な登板でも、ちゃんと話をまとめて、要領よく分かりやすく伝えられるところは、流石。模糊としていたホ(-_-)エモン像とかビジネスのヴィジョンが、良くわかった。単なるお騒がせIT成金とか、孫さんのレプリカってわけじゃなかったんだなぁ。。。。。が、Hさんの読みが当たっている*6と、近い将来、元同僚でli(-_-)oorでコンテンツ方面をやっているY君が結構悲惨な目に逢うかもだ。
三番手は、Kさんの最近のビジネス。リサーチ系の仕事に戻られたようであるが、eco関連の工業製品のプランニングを官庁方面と渡りをつけながら売って行こうとされているらしい。まぁ、お話を伺っていると、BtoB、あるいはBtoGtoBのプランに、コンシューマの手法を持ち込んでもなぁという気がする。今思えば、あの場で言えば良かったんだが、こじらせ続けている風邪に薬が効いてきて頭回らなかった。流れも、例によって自己啓発とか自己実現とかいう方向に行ってしまったし。こういう方面に話を持っていきたがる、あるいはそういう切り口でしか話ができないのが、当ゼミのカラーである。良し悪しは別にして、ただひたすら懐かしい。これまた例によって落ちは付かなかったものの、現在生花流通に携わっている方*7から、農業生産者にうりこんでは如何か?とのエクスキューズが出たので、まぁ、きっと、上手い事いくだろう。
四番手は、現在も伊勢丹にお勤めの大先輩Nさん*8の。。。。何が言いたいのかさっぱり分からない話。やれ自己実現のなんのと、論点も結論も曖昧としていて、これもまた当ゼミ風ではあるのだが、なんか疲れる。これも今だから思うのだが、この位の年齢の方と話す時は、カルチャーギャップとして心の棚にしまってしまうのが、普通の社会人としての付き合い方なんだろう。が、真摯に話を聞いて、議論/論争に至るのが普通であり礼儀と、社会構造的には歪つな価値観を持ってしまったのは、H先生の薫陶の賜物であるのだろうと。つまりNさんの発表と討論の流れに関しては、「基礎は教えた。あとは個々人の努力と才能にゆだねる。」という、先生の先生の流儀の極めて分かりやすいサンプルだったなぁと。
その後、一次会で帰られる方の近況報告と、Sくんからの悲しいお知らせ。。。我が卒業学科が無くなる話。。。を経て、二次会の東明龍凰へ。
NECで液晶関を扱う関連会社に行かれたMさん、講談社の宣伝部にいるUさん、美人で評判の5つ下のIさん、ミュージシャンのDさんのなど、おなじみの面々とも会えた。某大学で教鞭をとる、一つ上の才媛Hさん。この方もまた変わらない。。。ちゅうか、会うたびに水野久美に似てくるのだが、二人目身ごもった状態で参戦と。子供がいるのは全く問題ないのだが、どうやってその美貌を維持しているのか?というところが、まぁナンとも驚きというか。。。
不景気の折、料理の品数がいつもより少ないのだが、相変わらずの美味さであった。
三次会にも行きたかったが、風邪っぴきなのと、仕事関連自宅に持ち越しなので、断念する。


*1:この表現も。。。死語なのか?

*2:これも。。。死語?

*3:今では、教育学科のものらしい。。。。。

*4:IT業界ではそこそこ知名度の高い某社の社長だった。奥様が、『勝手邦題』書籍化の企画に大きく噛んでいたりして。世の中なにがどう繋がるか分からない。

*5:元の上司でもあったりする。

*6:また、外さないんだ。この方の時代を見る目は。

*7:先生退官のあたりのゼミ生。全く接点ないので、名前分からん。

*8:確か、団塊近辺